阿魯威(生没年不詳)は、モンゴル族出身の元代の詩人です。字を叔重、号を東泉といい、南剣太守、経筵官、参知政事などの官職を歴任しました。詩作に優れ、特に散曲を得意とし、現在でも数十篇の散曲が『陽春白雪』や『楽府群珠』などの書物に収められています。
本名:阿魯威
時代:元代
没年:1350年
代表作:
- 《湘妃怨·夜来雨横与风狂》
- 《蟾宮曲·問人間誰是英雄》
- 《双調·問湘君何処翱游》
- 《双調·河伯》
- 《双調·望朝暾将出東方》 など
生涯
- 延祐年間(1314~1320年) 南剣太守(延平江路総管)を務める。
- 至治年間(1321~1323年) 泉州路総管に就任。
- 泰定年間(1324~1328年) 翰林侍講学士を務める。この時期に『世祖聖訓』や『資治通鑑』を翻訳し、泰定帝に講義しました。
- 元仁宗や英宗の治世において、延平路総秘や泉州路総管、南剣太守を歴任した後、詔を受けて朝廷に入り、経筵官となる。
- 至和元年(1328年) 同知経筵事に就任したが、この年に辞職して南方へ下り、杭州に居住。城東に住み、西賓として李昱に招かれる。
- 至元2年(1336年) 平江路総管道童の事件に巻き込まれて罪を問われるが、後に無実が証明され、杭州で隠居生活を送る。
阿魯威は詩や散曲に優れ、明の朱権は『太和正音譜』で彼の詞を「鶴が青空に鳴き渡るようだ」と評しています。彼の詩作は現在残されていませんが、元代の楊朝英が『陽春白雪』に彼の小令19首を収録しています。それらは感情が深く素朴でありながら、格調高く豪放な作風が特徴です。
業績
阿魯威は漢文の造詣が深く、散曲においても優れた才能を発揮しました。散曲の「七十大家」の一人に数えられ、散曲作家として高い評価を受けています。『太和正音譜』の「古今群英楽府格勢」篇では、彼の詞曲の風格が「鶴が青空に響くようだ」と称されています。現在残っている散曲は以下の通りです:
- 《蟾宮曲》16首
- 《湘妃怨》2首
- 《寿陽曲》1首
さらに阿魯威は学者としても名を馳せ、元泰定年間には翰林侍読学士を務め、『世祖聖訓』や『資治通鑑』の翻訳にも携わりました。