元明宗(げん めいそう)、本名ボルジギン・ホシラ(1300年12月22日〜1329年8月30日)は、元朝第9代皇帝であり、短命ながらもその在位と業績が元朝史に重要な位置を占めています。彼の治世は1329年のわずかな期間(4月27日〜8月30日)に限られていますが、政治的激動の中で即位した皇帝として知られています。
即位の背景
ホシラは元世祖クビライの曾孫であり、父は元裕宗カマラです。ホシラとその弟トク・テムル(元文宗)は、父の死後に宮廷内の権力闘争に巻き込まれることになりました。1328年、元泰定帝が崩御すると、ホシラは上都派に支持されて皇帝に擁立されました。一方、大都派は弟トク・テムル(後の元文宗)を皇帝に推戴し、元朝は二重帝国状態となりました。
1329年、ホシラが上都から大都に向かう途上で弟トク・テムルとの和解が成立し、ホシラが正式に元朝の単独の皇帝となりました。しかし、この和解の背景には、権力を巡る思惑が絡んでいたとされています。
治世の特徴
ホシラの治世は極めて短く、その間に大きな政策や改革が行われることはありませんでした。ただし、彼の即位そのものが、元朝後期の複雑な政治的背景を反映しています。上都派と大都派の対立を一時的に収束させた点は評価されますが、その統治は不安定で、彼の早すぎる死が元朝のさらなる混乱を招きました。
突然の死
1329年8月、ホシラは突然崩御しました。その死因については議論があり、一部の記録では毒殺された可能性が示唆されています。彼の死後、弟トク・テムル(元文宗)が再び皇帝に即位し、ホシラの政策や支持者は抑圧されました。
評価
元明宗ホシラは、元朝史の中で政治的混乱と対立の象徴的な存在です。彼の治世そのものは短く、顕著な業績を残すことはできませんでしたが、皇帝としての正当性を巡る闘争に巻き込まれた人物として記憶されています。死後、諡号「順天立道睿文智武大聖孝皇帝」が贈られ、廟号は「明宗」とされました。
ホシラの短い治世とその背景は、元朝末期の権力闘争と混乱を理解する上で重要な一節となっています。