元寧宗(げん ねいそう)、本名ボルジギン・イリンジバル(1326年5月1日〜1332年12月14日)は、元朝第10代皇帝であり、短期間在位した皇帝として知られています。彼は、父である元明宗ホシラの後を継ぐべく即位しましたが、わずか52日という短い治世で崩御したことで、元朝の混乱を象徴する存在でもあります。
即位の背景
イリンジバルは元明宗ホシラの次男として誕生しました。父の死後、叔父である元文宗トク・テムルが皇位に就きましたが、元明宗の支持者たちはホシラの息子に皇位継承権があると主張し続けました。1332年、元文宗が崩御する際、彼は自身の子供ではなく、甥であるイリンジバルを皇位継承者に指名しました。
同年10月23日、イリンジバルは6歳という幼年で皇帝に即位しました。しかし、幼少であったため、実権は周囲の廷臣や太后に握られていました。
治世の特徴
イリンジバルの治世は極めて短かったため、具体的な政策や改革は記録に残っていません。ただし、幼少の皇帝の即位は元朝末期の宮廷内での権力争いを一層激化させました。
突然の死
即位から52日後の1332年12月14日、イリンジバルは急死しました。その死因ははっきりしていませんが、一部の歴史記録では、権力を巡る陰謀の一環として毒殺された可能性が示唆されています。彼の死により、元朝は再び皇位を巡る混乱に陥りました。
評価
元寧宗イリンジバルは、元朝の短命な皇帝の一人として歴史に名を残しています。彼の短い治世は、元朝末期の不安定な権力構造を反映しています。死後、諡号「冲聖嗣孝皇帝」、廟号「寧宗」が贈られましたが、彼の統治が元朝全体に与えた影響は限定的でした。
元寧宗の即位と急死は、元朝が急速に衰退し、最終的に滅亡へと向かう過程の一部として、歴史的に重要な位置を占めています。