曹操(鮑国安)は北方を統一した後、銅雀台を建設するよう命じ、北方平定の功績を記念するとともに、兵を訓練し屯田を進め、南方への攻撃に備えて力を蓄える。一方、劉備(孫彦軍)は劉表に身を寄せる。建安12年、劉備は関羽(陸樹銘)、張飛(李靖飛)、趙雲を率いて敵軍を打ち破り、これに劉表は大いに喜ぶ。しかし、蔡瑁は劉備が荊州を奪う意図があると考え、蔡夫人に報告する。蔡夫人はこれを劉表に伝え、劉表は劉備に「的盧」という名馬を与えるが、劉備はその贈り物に隠された意味に気づく。
その夜、劉備は阿斗(後の劉禅)という息子が生まれ、大いに喜ぶ。しかしその時、劉表から呼ばれ、彼のもとへ行くと、劉表は嫡男を廃し、末子を太子に立てようとする意向を述べる。劉備はこれに反対し、良言をもって諫めるが、その会話を蔡夫人に聞かれてしまう。蔡夫人は蔡瑁に命じ、深夜に劉備を暗殺しようと企てる。劉備は事前に風聞を得て逃亡し、蔡瑁は劉備が作ったと偽る詩を劉表に見せ、二人の仲を引き裂こうとする。劉表は疑念を抱き、劉備を襄陽の豊作祭りに招待する。劉備は趙雲を伴って祭りに参加するが、そこでこれは蔡瑁の罠であることを知り、急いでその場を脱する。逃走中、劉備は深山で司馬徽と偶然出会う。