元天順帝(げん てんじゅんてい)、本名ボルジギン・アスジバ(1320年〜1328年)は、元朝第7代皇帝です。彼の治世は非常に短く、1328年の1か月足らず(同年10月17日〜11月14日)という記録的な短期間で、政局の混乱と権力闘争の象徴的な存在となりました。天順帝は「アスジバ」として知られ、元朝史において異例の帝位継承を示す人物でもあります。
即位の背景
天順帝の即位は、元泰定帝の死後に起きた政争に深く関係しています。泰定帝の支持を受けていた上都派の勢力が、アスジバを擁立して皇帝の地位に就かせました。この際、アスジバは若年であり、皇帝としての実質的な統治能力を発揮する機会はほとんどありませんでした。
即位後、元号を「天順」と定めましたが、これが彼の治世唯一の政治的行動として記録されています。
治世の状況
天順帝の治世は、元朝内の派閥争いが頂点に達した時期でした。上都を拠点とする一派と、大都(現在の北京)を拠点とする勢力が激しく対立しており、この対立は最終的に天順帝の廃位と死亡をもたらしました。
10月に即位したものの、大都派が擁立した元文宗トク・テムルが兵を起こし、迅速にアスジバの治世を終わらせました。同年11月、アスジバは廃され、天順帝としての短命な皇帝の生涯を閉じました。
晩年と死
廃位されたアスジバのその後については記録が乏しく、詳細は不明です。しかし、彼の崩御は廃位の直後と考えられており、わずか8歳の若さでその生涯を終えたとされています。
評価
天順帝の在位は元朝史上最短であり、その治世は実質的な政治活動がほぼ記録に残っていないため、歴史的評価も乏しいものです。彼の存在は、元朝後期の混乱期と、宮廷内外での権力争いの象徴として位置づけられています。後世においても、彼は「短命な皇帝」として語られることが多く、その治世そのものよりも、元朝末期の政局の不安定さを物語る存在となっています。
廟号は「天順帝」、諡号は「徳孝皇帝」として記録されています。