現代では、厚手の綿布団や防寒着、さらには電気ストーブやエアコンといった技術の恩恵を受け、寒い冬を快適に過ごすことができます。しかし、宋代以前、綿花がまだ中国に広く普及していなかった時代、古代人たちはどのようにして零下数十度にもなる厳しい寒さを乗り越えていたのでしょうか?
以下、貴族と平民に分けて古代の取暖方法をご紹介します。
1. 古代貴族の取暖方法
華美な衣服と建築技術で寒さを克服
宋代以前、棉花はまだ一般的ではありませんでしたが、皇族や貴族たちは動物の毛皮で作られた高級な防寒着を着用していました。狐毛や貂(テン)の毛皮で作られた裘(コート)は、非常に保温性が高く、さらに高貴な身分を象徴するものでした。
また、貴族の住まいには優れた保温技術が施されていました。たとえば、漢代の皇宮では「椒房殿」と呼ばれる建築があり、花椒(山椒の一種)の実をすりつぶして壁に塗り、保温性を高めていました。さらに、壁掛けの絨毯や羽毛製のカーテン、床に敷かれた毛皮などで寒さをしのぎました。
火炉(暖炉)と火牆(壁暖房)
秦代には、既に暖房設備として「火炉」や「火牆」が使われていました。火牆は壁の中に空間を作り、その内部で炭火を燃やして壁全体を暖める仕組みです。一方、火炉は木炭や炭火を燃やして部屋を暖めました。
携帯型暖房器具:手炉や足炉
手炉や足炉も貴族たちの間で使われていた暖房道具です。手炉は小型の容器に炭火を入れて持ち運べるようにしたもので、春秋戦国時代や隋代から使用されていたという説があります。これらの道具は、実用性だけでなく、貴族の象徴としても人気を博しました。
2. 古代平民の取暖方法
火炕(オンドル)と火塘(囲炉裏)
平民たちは、火炕や火塘を使って寒さをしのぎました。火炕は北方で一般的な暖房設備で、炕(寝台)の下に火を通すことで表面を暖める仕組みです。一方、火塘は家の中心部に設置された囲炉裏のようなもので、暖房だけでなく調理にも使用されました。
これらの暖房設備は、単に温まるためだけでなく、家族が集まり団らんする場としても機能していました。特に寒い冬の夜、家族全員が火塘を囲み、物語を語り合うなどの光景が見られました。
紙衣(紙製の衣服)
唐宋時代には、紙を使った衣服「紙衣」も登場しました。紙衣は樹皮紙から作られ、特別な加工を施すことである程度の保温性を備えていました。宋代では、貧困層を救済するための施策として政府が紙衣を配布することもありました。ただし、紙衣は布製の衣服と併用されることが多く、単独では長時間の防寒には適しませんでした。
火盆(火鉢)と簡素な防寒着
平民家庭では、泥で作った火盆(火鉢)を用い、調理で生じた炭火を再利用して暖を取りました。また、粗い羊皮や麻布で作られた防寒着も欠かせないものでした。
3. 極寒の自然災害にどう対処したのか?
古代には、記録的な寒波や厳しい自然災害に見舞われることもありました。特に一般庶民にとっては、暖房設備や衣類の不足が命に関わる問題でした。そのような中でも、以下のような工夫がなされていました。
- 集団生活での体温保持:家族や近隣住民が一部屋に集まり、火を囲むことで体温を維持しました。
- 動物の毛皮や布の再利用:限られた資源を最大限活用し、衣類や寝具を補強しました。
- 食生活の工夫:体を温める効果のある食品(生姜や薬膳)を取り入れました。
まとめ
宋代以前、中国では防寒のために様々な知恵と工夫が施されていました。貴族は毛皮や建築技術で、平民は火炕や火塘、火盆などで寒さをしのぎました。これらの取暖方法は現代の基準から見ると効率的ではありませんが、当時の技術と資源の範囲内で最善の解決策と言えるでしょう。