元成宗ボルジギン・テムル(1265年10月15日〜1307年2月10日)は、元朝第2代皇帝であり、元世祖フビライの孫、太子チンキムの長男です。フビライの治世下で帝位継承者とされ、フビライが崩御した後、1294年に皇帝に即位しました。彼の治世は、元朝が確立した統治体制を継承し、国内の安定と発展に努めた期間として知られています。
テムルは、即位後、祖父フビライが築いた行省制度と中央集権の統治方針を踏襲し、元朝の支配基盤を強化しました。また、財政面では一部の税を減免し、民衆の負担軽減を図りました。これは社会の安定に貢献し、一時的に民衆の生活を改善させました。また、儒教を重視し、漢人官僚や儒学者を積極的に登用し、儒教の教えによって元朝を治める方針を掲げました。
外政面では、テムルは西北での反乱に対応し、カイドゥやドゥアなどの地方の王族が引き起こした反乱を鎮圧しました。また、西北の長期的な不安定状態を収めるべく対話や交渉を進め、モンゴル帝国内での影響力を維持しました。テムルの在位中、ユーラシア大陸の交易路は引き続き保護され、交易や文化交流が活発化しました。
テムルの治世は13年間続きましたが、彼は特に大規模な征服戦争を行わず、内政の安定と社会の安寧を重視する統治者として知られています。1307年、テムルは病のために崩御し、「元成宗」の廟号と「仁文義武大聖広孝皇帝」の諡号が贈られました。