胡遵が丁奉を侮っていたため、僅か三十隻の船しか見えず援軍がないと油断しますが、丁奉は奇襲を仕掛け、魏軍の陣営を急襲し、大勝利を収めました。東興の戦いで勝利を得た司馬昭は敗れて帰還します。この機に乗じて中原を攻めるべきだと太傅の諸葛恪は提案し、蜀に使者を送り、姜維と協力して魏を討つ計画を立てました。
しかし、蒋延は「太傅の愛国心は立派ですが、春以降は干ばつが続き、出兵には不利です」と進言しました。これに諸葛恪は激怒し、蒋延を庶民に降格します。魏軍は新城を要塞とし、そこで防備を固めていました。もし新城を先に落とせば、敵は恐れをなすだろうと考えた諸葛恪は、すでに新城を支配下に置いたと思い込み、軍を休ませます。
しかし諸葛恪は諫言を受け入れず、強引に攻城を進め、公卿を粛清し、自ら権力を握ろうとする野心を見せました。これに不安を抱いた孫俊らは、密かに兵を率い天子に諸葛恪の行いを奏上しました。