『三国志演義』第58話:水淹七軍

曹操(鲍国安)は劉備(孫彦軍)が漢中王として自立したことを知り、激怒し、劉備を滅ぼす決意を固めた。仲達は曹操に対し、孫権(呉曉東)を説得して荊州を攻撃させ、劉備が援軍を送った隙に漢川を攻め取る策を進言した。曹操は満伯寧を使者として東呉に派遣し、孫権にこの計画を伝えた。孫権は満伯寧の話を聞き、謀臣たちとともに、曹操の提案に応じつつ関羽の動向を探り、時機を見て行動することに決めた。

しかし、諸葛亮(唐国強)は曹操の計略と孫権の対策をすでに予見しており、関羽に樊城を攻め取るよう命じた。関羽の進撃によって、敵軍は恐怖に陥り自然に崩壊するだろうと考えたのだ。

曹操は関羽が樊城を包囲したと知り、忠誠を示したいと願う龐徳が、関羽の首を取るために自ら進んで出陣した。曹操は対関羽戦の戦術を龐徳に伝えたが、主将の于禁は龐徳に功績を奪われまいとして、曹操の意向を利用し、有利な場面でも何度も撤兵させた。関羽は龐徳の冷箭(不意打ちの矢)によって負傷した。

その後、于禁は曹操がすでに孫権に荊州を攻めさせたことを龐徳に伝え、関羽が荊州に戻るまで待ち伏せして攻撃するため、低地に陣を張って暑さを避ける策を取った。しかし、大雨が続き、関羽は洪水を利用して曹軍を大破し、于禁と龐徳を生け捕りにした。于禁は荊州に送られ、龐徳は降伏を拒んで斬首された。

その後、関羽は樊城を攻撃したが、曹仁の毒矢に当たって負傷する。華佗が治療に訪れ、矢傷を治すために骨を削って毒を取り除く必要があると告げる。関羽は酒を飲みながら、落ち着いて囲碁を打ちつつ治療に臨んだ。

一方、呉の陸遜は策を練り、呂蒙に辞任を申し出させて自分が後任になるよう仕向けた。これにより、関羽は呉軍を軽視し、荊州を守る軍備を疎かにするだろうと考えた。関羽は陸遜からの奉承の手紙を読み、呉軍への警戒を緩め始めた。

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