中国の歴史上の著名人、王羲之(おう ぎし)は、303年から361年まで生きたとされ、ほかに307年から365年、または321年から379年という説もあります。字は逸少で、世間では王右軍と称されました。彼は琅邪郡臨沂(現在の山東省臨沂市)の出身で、後に会稽山陰(現在の浙江省紹興市)に移り住みました。東晋時代の大臣、文学者、書道家であり、淮南太守・王旷の息子です。

王羲之は名門の琅邪王氏に生まれました。7歳で書を学び、12歳で古人の筆論を読みました。幼少期に衛鉉の書を学び、その後、江を渡って北へ赴き、名山を巡って李斯や曹喜らの名家の書跡を見ました。また洛陽では、蔡邕の石経三体書や張昶の『華岳碑』を見る機会を得て、自分の不足を感じ、さまざまな碑文を学んで書道の腕を大いに向上させ、新しい美しく流麗な書風を創り上げ、草書を新たな境地へと導きました。

23歳の時に仕官し、秘書郎に任じられ、次いで長史、寧遠将軍、江州刺史、右軍将軍、会稽内史などを歴任しました。永和11年(355年)、病を理由に会稽郡の職を辞し、山水を楽しみ、釣りをして余生を過ごしました。升平5年(361年)、58歳で病没しました。彼の息子・王献之もまた書道において大きな成就を収め、父王羲之と共に「二王」と称されました。

王羲之の生涯で最も優れた業績は書道にあります。彼は生前も死後も人々から尊敬され、「書聖」と称されています。王羲之は当時の書法を集大成するだけでなく、独自の王派書法を創り上げ、独特な書風を確立しました。彼の楷書は『黄庭経』や『楽毅論』が有名で、行書では『快雪時晴帖』や『喪乱帖』が秀逸、草書では『十七帖』が最も神髄を表しています。代表作『蘭亭集序』は「天下第一行書」と称され、書道作品としてのみならず、名文としても広く知られています。

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