『三国志演義』第54話:合肥会戦

曹操(鲍国安)は劉備(孫彦軍)を攻めるために兵を挙げ、諸葛亮(唐国強)は劉備に荊州の三郡を孫権に返すよう進言し、伊籍を呉に派遣して利害関係を説明した。孫権(呉暁東)は皖城を攻撃し、張遼が救援に向かったが、すでに手遅れであった。劉晔は皖城失守を知り、曹操に張遼と李典の対立を和解させるべきだと進言し、曹操は張遼に書簡を送った。

孫権は勝利の宴を開き、甘寧の功績を皆が称えた。宴の最中、凌統はこの日が父親の命日であり、父を殺したのが甘寧であることを思い出し、剣を抜いて怒りを示した。甘寧はその意図を察し、戟を舞って応じたが、孫権が急いで二人をなだめた。

孫権は十万の兵を率いて合肥を攻撃したが、曹操から張遼への書簡が到着し、張遼と李典に敵を迎撃するよう命じた。張遼はこの機会に私怨を解消し、二人の将軍は協力して孫権軍に大勝した。甘寧は夜襲をかけて曹操の陣営を破り、曹操は混乱に乗じて逃亡した。

曹操は張遼に再び挑戦を命じ、凌統が自ら戦いに出たが、戦場で曹操の命を受けた兵士の冷箭により負傷し、馬から落ちた。その時、甘寧が曹操軍の将を射落とし、凌統を救った。凌統は甘寧に命を救われた恩を感じ、二人は生死の交わりを結ぶこととなった。

曹操は大軍を率いて「生け捕りにする」と宣言し、孫権に迫った。周泰は孫権を守るために重傷を負い、孫権は酒を贈って周泰に感謝した。合肥の戦いは、東呉が和議を求め、双方が元の境界を守ることで終結した。曹操は北へ帰還し、皇后を処刑して、献帝に自分の娘を皇后にさせ、自ら魏王を名乗り、世子を立ててその地位を継がせるようにした。

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