曹操(ソウ・ソウ、鲍国安)は辕門に「活」という字を書き、楊修(ヨウ・シュウ)はその門を修正させます。曹操は楊修が自分の意図を深く理解していることに気づき、彼の機敏さを賞賛します。西川の使者、張松(チョウ・ショウ)が曹操の元を訪れ、楊修はこの機会に西川の人々の心をつかむよう進言します。しかし、曹操は張松と数言交わしただけで不快になり、去ってしまいます。

楊修は張松が並外れた人物だと感じ、会話の中で曹操が自ら書いた兵法を張松に見せます。張松は笑って、蜀中の小童(子供)たちですら暗記していると言います。楊修は曹操に自分と張松の会話を伝え、曹操は自らの手書きを焼き捨てます。

曹操は教場で張松に対して威嚇しますが、張松は曹操の敗戦を一つ一つ挙げて指摘します。これに怒った曹操は張松を殺そうとしますが、楊修と荀彧(ジュン・イク)が必死に説得し、張松は乱暴に追い出されます。

諸葛亮(カタカナ表記:タクカク)は張松の不幸を聞き、趙雲(チョウ・ウン)と関羽(カン・ウ、陸樹銘)を送って迎えに行かせます。張松は西川に明主が現れないことを憂い、招待を受けて刘备(リュウ・ベイ、孙彦軍)から温かいもてなしを受け、感動します。

張松が去る際、再び刘备の仁愛に感動し、西川のために心配していることを述べ、蜀の地図を刘备に献上して、彼が西川に基盤を築くのを助けます。張松はさらに、自分の主を説得して刘备を迎え入れ、西川の安寧を守るようにします。諸葛亮や関羽は荊州に留まり、刘备や庞統(ホウ・トウ)らは部隊を率いて西川に向かいます。

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