曹操(バオ・グオアン)は劉備の二人の夫人と関羽を同じ家に住まわせるが、関羽は一晩中外で立ち続けた。曹操は関羽を降伏させようと新しい戦袍や呂布の名馬「千里馬」を贈り、関羽は感謝するものの、劉備のもとに戻る決意を固くしていた。曹操は関羽の義理堅さに感銘を受ける。
袁紹と曹操が戦う中、顔良が勇猛に敵を討ち、曹操軍は苦境に陥る。しかし、関羽が袁紹軍の将軍である顔良を討ち取り、曹操を救うという大功を立てた。曹操は朝廷に奏上し、関羽を「漢寿亭侯」に封じ、特別に大きな印を鋳造して関羽に贈った。
その後の戦いで、関羽はさらに袁紹軍の文醜を討ち取る。この戦いを通じて、劉備(スン・イエンジュン)は関羽が曹操のもとにいることを知り、一方で関羽も袁紹のもとにいる兄・劉備の消息を知る。さらに、袁紹軍から劉備の直筆の手紙を受け取った関羽は、すぐに返信を書いて使者に託した。
その後、関羽は劉備の消息を嫂夫人たちに伝え、曹操に別れを告げに丞相府へ向かう。しかし、曹操は関羽の意図を察し、大門に回避の札を掛け、何度も関羽を避けた。張遼も病気を理由に面会を断る。関羽は彼らの意図を察し、手紙を相府に送り、これまで受け取った金銀を全て封印し、漢寿亭侯の大印を大堂に掛けて辞職の意を示した。そして、以前の部将たちを伴い、二人の嫂夫人を守りながら、劉備のもとへ向かうため官道へ出発した。