『三国志演義』第61集:曹丕篡汉
魏王が病没し、曹丕(杨俊勇)が跡を継ぐ。曹彰は十万の兵を率いて弔問に訪れるが、曹丕は曹彰の目的が善意ではないことを察し、贾逵を説得役として送り込み、策略を用いて曹彰の兵を没収する。十月になると、曹丕は漢献帝に退位を強要し、漢献帝を山陽公に封じ、自らを大魏皇帝と宣言する。
その頃、漢中王の劉備(孫彦軍)は漢献帝が無理やり退位させられたと聞いて悲しみに暮れ、日々心を痛めていた。これにより劉備は病を患い、政務を執ることができなくなる。諸葛亮(唐国強)は臣下たちと相談し、天下は一日たりとも君主不在であってはならないとして、劉備に即位を求めるべきだと提案する。諸葛亮は病を装って政務を避け、劉備が見舞いに来た際に、巧みに説得して劉備に皇帝位を受け入れさせる。
建安26年4月、劉備は成都で即位し、年号を章武と改めた。元年7月、劉備は関羽の仇を討つため、東呉に対して70万の大軍を率いて出兵を命じる。