曹操の大軍は一か月以上の激しい戦いの末、ついに寿春を攻略し、袁術を打ち破った。その時、張繡が劉表と連合し、曹操が許都を離れている隙に中原に進撃したため、曹操は自ら大軍を率いて許都を救うために戻り、建安3年に張繡を討伐した。曹操(バオ・グオアン演)は三軍に麦畑を踏み荒らすことを禁じ、違反者は斬首と命じたが、自身が麦畑を踏んでしまった際、将士たちの説得を受けて髪を切って自らに罰を与えた。曹操は亡き友人を祭った。張遼が小沛の西門を攻撃したが、関羽に説得され攻撃を断念した。呂布は小沛を攻め、劉備(スン・イェンジュン演)は曹操に援軍を求めた。曹操は徐州を包囲し、呂布は陳登の策略にはまり、徐州を失って下邳に退却した。