時空を超える現象は存在するのか?王莽は時空を超えた存在なのか?
「時空を超える」先駆者——王莽
王莽という人物について話すと、少し知識のある人は彼を「漢を簒奪した逆賊」として認識することが多いでしょう。例えば、『西遊記』で孫悟空が五行山に閉じ込められた背景も、王莽が漢を簒奪した時代に設定されています。しかし、現代の視点から王莽を捉えると、彼がいかに卓越していたかが分かります。その卓越ぶりは、まるで21世紀の知識を持っていたかのようです。
史書によると、王莽は士族の出身です。漢朝の制度では、諸侯において士族が最大勢力となることがありましたが、皇帝は士族の頂点に立つ存在でした。優れた皇帝は士族を完璧に掌握できますが、能力のない皇帝は士族に振り回され、単なる象徴的存在となることもあります。劉協や曹芳がその代表例です。
王莽は士族という後ろ盾を持つだけでなく、漢元帝の皇后の甥という正真正銘の外戚でもありました。その後、漢平帝が亡くなるまで権力基盤を築き、太子劉嬰を廃して新朝を樹立しました。
しかし、王莽が漢を簒奪する少し前から、彼には「時空を超えた者」のような兆候が見られました。例えば年号の改元です。漢平帝即位の翌年、王莽は年号を「元始元年」に改めましたが、この年は偶然にも西暦1年と一致しているのです。これは単なる偶然でしょうか?しかし、さらに驚くべき事実はこれからです。
解剖を行った唯一の皇帝
王莽は、自ら遺体の解剖を行った5000年の歴史上唯一の皇帝です。当時、遺体に手を加えることは主流の価値観に反していました。「身体髪膚、父母に受く」という観念から、髪やひげを切ることさえ敬遠されていた時代です。ましてや鞭打ち刑は最も屈辱的な刑罰の一つとされていました。しかし、王莽は主流に逆らい、解剖を行ったのです。この行動は理解に苦しむものでした。
游標カード(ノギス)の発明
ノギスは精密な測定に使われる工具ですが、王莽の時代の発明品が出土するまで、フランス人がその発明者とされていました。古代においてこのような先進的な道具を発明することは驚くべきことであり、現代の知識を持って時代を超えてきたかのように思われます。
これらの出来事は単なる科学や時代の偶然にとどまりません。王莽の政策はさらに現代的で、彼が未来の価値観を持っていたかのような印象を与えます。
王莽の先進的政策
- 奴隷制の廃止
王莽は「すべての人は平等であるべき」という思想のもと、奴隷の売買を禁止しました。これは人権を尊重する最初期の思想と考えられます。奴隷に頼らない労働形態を目指すという発想は、封建的な階級制度に完全に反しています。 - 土地の国有化
王莽は土地を国家に帰属させ、すべての農民が自らの土地を持つことを提案しました。これにより、他人の下で働く必要がなくなり、自給自足の生活が可能になると考えられました。しかし、これは士族の利益を侵害するもので、強い反対を受けました。 - 経済制度の改革
流通する貨幣を全て一新し、新しい貨幣を均等に配布することで財産の平等を目指しました。また、信用取引やローンを導入し、塩などの必需品を国家が管理する政策を実施しました。これは国家が経済に介入する政策の先駆けと言えるでしょう。
王莽はなぜ敗北したのか?
王莽が「時空を超えた者」として現代人に見られる理由は、その超越した思想にあります。しかし、彼の敗北の理由もまた明確です。
- 法的正当性の欠如
彼の新朝の成立は法的な正当性に欠けており、民衆の信頼を得るのが難しかった。 - 天災と経済混乱
黄河の氾濫などの自然災害が発生し、さらに貨幣改革による市場の混乱が国を弱体化させました。 - 根本的な基盤の不安定さ
王莽の思想は優れていましたが、改革が急進的すぎたため、広範な反発を招きました。
最終的に、劉秀という「幸運に恵まれた英雄」が現れ、昆陽の戦いで王莽は大敗しました。しかし、王莽の施策や思想は後の歴史に多大な影響を与えたと言えるでしょう。
王莽の物語はここで一旦幕を閉じますが、彼の多くの施策は現代人に「時空を超えた存在」を連想させるものであり、同時に自然界や人類の未知の領域がいかに広大であるかを考えさせられます。