『三国志演義』第64集:安居平五路
劉備(孫彦軍)は諸葛亮(唐国強)の忠告を聞かず大敗し、その悔恨から病に倒れ、命が尽きようとしていた。劉備は臨終の際に、諸葛亮に「馬謖は重用するべきではない。深く見極めてくれ。太子が補佐できない時は、自ら王となってもよい」と遺言する。諸葛亮は深く感謝し、「決して自立することはない」と誓った。
一方、司馬懿は曹丕に五路の大軍を結集して蜀を滅ぼすよう進言し、魏の大軍が迫っているとの報が蜀国に届く。蜀の君臣は恐慌に陥るが、諸葛亮は劉禅に退兵策を説明し、邓芝を使者として呉に派遣、孫権(呉暁東)に魏の脅威を伝えて同盟を結ぶよう説得する。孫権は最初、邓芝を脅そうとするが、邓芝は全く怯まず、呉の君臣と舌戦を繰り広げた。
その最中、魏軍の四路が戦わずして撤退したとの知らせが届き、邓芝は諸葛亮の退兵策を説明し、呉と蜀は唇歯の関係であることを強調する。孫権はこれに納得し、使者の張温を蜀に派遣して同盟を結んだ。張温は蜀国の知識人たちとの才学の競い合いに感銘を受け、諸葛亮も彼を厚くもてなし、友好を深めた。
魏の曹丕は呉蜀同盟に怒り、大軍を率いて東呉を討伐しようとするが、諸葛亮は趙雲に命じて魏国を奇襲させる。趙雲は連戦連勝するが、蜀の南方で暴動が発生したため、諸葛亮は趙雲に帰国し暴動を鎮めるよう指示した。