荊軻(けいか) – 先秦の詩人、刺客

荊軻(けいか)は戦国時代末期の衛国(現在の河南省鶴壁市淇県)の人で、先祖は斉の貴族とされています。その後衛国に移住し、衛の人々から「慶卿」と呼ばれました。秦が衛を滅ぼすと荊軻は燕に亡命し、燕では「荊卿」「荊叔」とも称されました。

基本情報

  • 時代:戦国時代末期
  • 出身地:衛国(現在の河南省鶴壁市淇県)
  • 代表作品
  • 《易水歌》(風蕭蕭として知られる詩)

歴史的背景と事績
秦が韓や趙を滅ぼし、覇権を握りつつある時代、燕の太子丹は秦王政(後の始皇帝)を暗殺してその勢力を抑えようと計画しました。この計画の一環として、荊軻は太子丹の友人である田光の推薦を受けて燕の上卿に昇格し、暗殺計画の中心人物となりました。

燕王喜28年(紀元前227年)、荊軻は以下を献上する名目で秦に赴きました:

  1. 秦に恨みを持つ亡命将軍樊於期の首級。
  2. 匕首を隠した督亢の地図。

荊軻は秦王に地図を献上する際、地図を広げきった瞬間に隠されていた匕首を取り出し、刺殺を試みました(「図穷而匕首见」)。しかし、暗殺は失敗し、荊軻はその場で斬られました。この事件は歴史における壮絶な暗殺未遂として広く語り継がれています。

代表作:《易水歌》
この詩は荊軻が秦へ旅立つ際、別れの場で歌ったものとして伝えられています。特にその内容は、決死の覚悟と壮士の悲壮感を鮮やかに表現しています:

風蕭蕭兮易水寒,
壮士一去兮不復還。


風は蕭々として易水は冷たい。
壮士は一たび去れば二度と戻らない。

この詩は、古代中国の英雄的精神を象徴する作品として後世に深い影響を与え、多くの文学作品や歴史物語で引用され続けています。

コメントを残す