公元253年の秋、西蜀の大将軍姜維は20万の兵を率いて中原を討伐します。魏国は徐志を先鋒とし、司馬昭を大都督に任命して陇西で迎え撃ちますが、姜維の計略にかかり、徐志は討ち取られ、司馬昭は残兵を引き連れ鉄籠山に退却するしかありませんでした。鉄籠山で司馬昭軍は水も食糧も尽き、兵たちは疲弊しきっています。
将軍郭淮は救援を試みますが、陳泰は「羌兵が既に到達しており、今撤退すれば羌兵が襲撃してくる」と指摘し、先に降伏を装って包囲を解く策を提案します。その後、司馬師が蜀軍を撃退し、姜維を漢中へ追い返すことに成功します。
司馬師は国君の前で司馬昭の功績を称え、過ちを償ったとして賞賛を求めますが、国君は表面上は同意しながらも、内心では司馬昭の権力増大に不満を抱きます。