皇帝名在位期間概要
元太祖 成吉思汗1162年~1227年モンゴル帝国のカアンで、「成吉思汗」と称される。世界史における傑出した政治家、軍事家であり、1206年に建国し皇帝に即位。その後、中央アジアから東ヨーロッパの黒海沿岸まで領土を拡大。1265年、元世祖フビライにより「太祖」の廟号を追贈され、1271年には国号を「大元」に改められる。1309年には元武宗カイシャンにより「法天啓運聖武皇帝」の諡号が贈られた。
元睿宗 ボルジギン・トゥルイ1193年~1232年成吉思汗の子で、父が残した軍隊の多くを継承。1227年に成吉思汗が崩御した後は国政を監督。1232年に金軍を撃破した後、帰途で病没。息子モンケが即位後、「英武皇帝」の諡号と「睿宗」の廟号を贈った。
元太宗 ボルジギン・オゴデイ1186年~1241年12月11日モンゴル帝国のカアンで、「オゴデイ汗」とも称される。成吉思汗の三男で、1229年のクリルタイ大会で即位し、帝国を統治。父の遺志を継ぎ、領土を拡大し、金朝を滅ぼし、ヨーロッパ遠征も指示。元世祖フビライにより「太宗」と「英文皇帝」の諡号を追贈される。
元定宗 ボルジギン・グユク1206年~1248年4月モンゴル帝国のカアンで、「グユク汗」と称される。オゴデイの長男で、1246年に即位。金朝征伐やヨーロッパ遠征に参加し、吐蕃を服属させた。
元憲宗 ボルジギン・モンケ1209年1月10日~1259年8月11日モンゴル帝国のカアンで、「モンケ汗」と称される。成吉思汗の孫で、トゥルイの長男。即位前はバトゥの指揮するヨーロッパ遠征に参加し、ロシアへの攻撃も行った。
元世祖 ボルジギン・フビライ1215年~1294年元朝の創設者で、モンケの弟。行省制を確立し、中央集権を強化。祖父成吉思汗同様、輝かしい歴史を築き上げた。1294年に崩御し、「聖徳神功文武皇帝」との諡号と「世祖」の廟号が贈られた。
元成宗 ボルジギン・テムル1265年10月15日~1307年2月10日フビライの孫で、諸王の勢力を制限し、税負担を一部減免するなど統治政策を実施。西北の反乱を鎮圧し、安定をもたらした。
元武宗 ボルジギン・カイシャン1281年8月4日~1311年1月27日フビライの曾孫で、在位中は国内の安定を図り、経済発展をもたらした。廟号は「武宗」、諡号は「仁恵宣孝皇帝」。
元仁宗 ボルジギン・アユルバルワダ1285年4月9日~1320年3月1日元朝第四代皇帝で、儒教を取り入れた政策を進めた。廟号は「仁宗」。
元英宗 ボルジギン・シデバラ1303年~1323年仁宗の嫡子で、即位後は「至治」と改元。漢文化を学び、短命ながらも在位期間中に儒教的な統治を行った。
元泰定帝1276年~1328年世祖の曾孫で、「泰定帝」と称される。1323年に即位し、在位5年で崩御。
元天順帝 ボルジギン・アスジバ1320年~1328年元朝第七代皇帝で、「天順帝」とも称される。短期間在位。諡号は「徳孝皇帝」。
元文宗 ボルジギン・トグ・テムル1304年~1332年元朝第八代皇帝で、1328年から1332年にかけて二度即位。在位計5年。
元明宗 ボルジギン・ホシラ1300年12月22日~1329年8月30日元朝第九代皇帝で、「順天立道睿文智武大聖孝皇帝」の諡号を持つ。
元寧宗 ボルジギン・イリンジバル1326年5月1日~1332年12月14日元朝第十代皇帝で、在位期間はわずか約2ヶ月。廟号は「寧宗」。
元順帝 ボルジギン・トグン・テムル1320年5月25日~1370年5月23日モンゴル帝国のカアンで、元朝最後の皇帝。また北元初代皇帝でもあり、「宣仁普孝皇帝」とも称される。

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