柳宗元(773年 – 819年11月28日)は、字を子厚とし、祖籍は河東郡(現在の山西省運城市永済・芮城一帯)にあります。河東柳氏の出身であり、世に「柳河東」または「河東先生」と称されています。唐代の文学者、哲学者、散文家、思想家であり、役職が柳州刺史であったことから「柳柳州」「柳愚溪」とも呼ばれています。
柳宗元は韓愈とともに唐代の古文運動を推進し、二人を合わせて「韓柳」と称されました。また、劉禹錫と「劉柳」、王維や孟浩然、韋応物とは「王孟韋柳」と並び称されています。柳宗元は詩と散文の分野で600篇以上の作品を残しており、特に散文における業績が高く評価されています。駢文作品は100篇近く、鋭い論説や辛辣な風刺が特徴であり、また紀行文や風景描写に優れ、「紀行文の祖」とされています。元和十四年(819年)に47歳で亡くなり、南宋の紹興年間には宋高宗により「文恵昭霊侯」の諡号を追贈されました。
柳宗元の著作には『河東先生集』があり、代表作として『溪居』『江雪』『漁翁』などが挙げられます。柳宗元の子孫によって建てられた「柳氏民居」は、現在山西省沁水県文興村にあり、国家4A級の観光地に指定されています。