冷戦時代、アメリカの最強のライバルだったソ連は、文化、経済、軍事といったあらゆる分野でアメリカと競争し、「世界の覇者」となるべく競い合いました。

1970年代、アメリカが有人月面着陸を実現しようとしていたのを目の当たりにしたソ連は、それに対抗すべく、「地球を掘り抜く」という壮大な計画を打ち立てました。

この計画は20年にわたり進められましたが、最終的に地下12,262メートルに達した時点で突如中止されました。ソ連政府は掘削機材を急いで撤収し、掘削孔を厳重に封鎖しました。

「地獄の門」に到達したという噂

ソ連解体後も、この計画がなぜ突然中断されたのかについては議論が続きました。最も有名な説は、ソ連が「地獄の門」に到達し、そこで恐ろしい何かを発見したため中止したというものです。この説は神秘的な噂として広く語られています。

では、本当の理由は何だったのでしょうか?本当に「地獄」が存在するのでしょうか?


天上から地下へ:米ソの技術競争

第二次世界大戦後、ソ連とアメリカはイデオロギーの違いから対立を深めました。両国は、自国の制度が世界で最も優れていることを示すために、20世紀後半に激しい「腕比べ」を繰り広げました。

核兵器や通常兵器の開発競争が意味を持たなくなると、軍備競争から技術競争に焦点を移し、冷戦期は情報技術や人工知能などの急速な進歩を遂げる時代となりました。特にソ連は、宇宙開発に注力します。

1961年、ソ連は人類初の有人宇宙飛行を成功させ、アメリカを圧倒しました。しかし、アメリカは8年後、有人月面着陸を達成して巻き返しました。月までの38万キロメートルを人間を乗せた宇宙船で到達する技術は、当時のソ連には不可能でした。

これに対抗すべく、ソ連は新たな発想を打ち出します。「アメリカが空に向かうなら、ソ連は地下を目指す」という逆転の発想が「地球掘削計画」を生みました。


ソ連の「コラ超深度掘削計画」

この計画は、ソ連北西部のコラ半島を掘削地点に選び、正式に「コラ超深度掘削プロジェクト」として開始されました。計画は順調に進み、1500メートル地点までは比較的スムーズに掘り進められました。

しかし、深度が増すにつれて地質が硬化し、掘削用ドリルの過熱や技術的な問題が次々と発生しました。それでもソ連はドリルの素材改良や新たな掘削液の開発を進め、最終的に地下12,262メートルに到達しました。

その過程で、大量の金鉱を発見するなどの成果もありましたが、計画は突然中断されました。


計画中止の真相

ソ連が掘削を停止した主な理由として、以下が挙げられます:

  1. 経済的問題:掘削プロジェクトは莫大な費用を伴い、経済が低迷していたソ連にとって負担が大きすぎました。特に最後の200メートルを掘るのに10年以上かかったという記録からも、技術的・経済的限界が見て取れます。
  2. 技術的限界:当時の技術では、1万メートル以上の深度の硬い岩盤を突破するのは極めて困難でした。
  3. 冷戦の終結とソ連の崩壊:プロジェクト中断の翌年である1991年、ソ連は内外の問題により解体を迎えました。これによりプロジェクトも完全に終了しました。

「地獄の門」伝説の科学的解釈

「地獄の門」にまつわる噂のきっかけは、掘削時に発生した「地下からの異音」でした。これについて科学者は、深層部の岩盤とドリルの摩擦による高音が原因であると説明しています。この音が地下の共鳴で増幅され、地上ではまるで人間のうめき声のように聞こえたのです。


人類の挑戦と自然の力

地下12,262メートルという記録は当時としては画期的でしたが、地球全体の構造から見ればまだ表層に過ぎません。地殻の平均厚さは35,000メートルに及び、地球の中心までの道のりはさらに遥か遠いものです。

この壮大な計画は、人類の挑戦精神を象徴するものですが、同時に自然の偉大さと、その前での人間の小ささを再認識させるものでした。

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